十和田ホテルの歴史
天然秋田杉の館から
眺める神秘の湖と
繊細な自然が
織りなす情景
1938(昭和13)年の完成以来、雄大な十和田湖のほとりで八十有余年の長い年月を重ねる十和田ホテル。
天然秋田杉で造られた建物は磨きがかかり、一層趣が感じられ、訪れる人々に驚きと感動を与えています。
激動の歴史を越えて History
眺望湖畔第一の地に県営ホテル落成。
1939 (昭和14)年6月、十和田湖を見下ろす絶景の高台に、十和田ホテルが開業しました。
当初は翌年に開かれる予定であった「幻の東京オリンピック」を前に、訪日観光客の宿として政府の要請で建てられたホテルのひとつでしたが、国際情勢の緊迫などでオリンピックは中止に。その後も戦中・戦後の数々の苦難を乗り越えながら、湖と共にこの地の歴史を見つめてきました。
変遷する歴史の中で、変わらずに「在る」
十和田ホテルの経営は、はじめ、秋田県の委託により実業家・関直右衛門氏によって行われ、翌1940 (昭和15)年には鉄道省へ経営移管されました。その後、1942(昭和17)年に同省へ譲渡されましたが、前年に勃発した太平洋戦争の影響を受け、やむなく営業中止となります。
戦後は進駐軍に接収されましたが、1952(昭和27)年の接収解除で秋田県が買い戻し、日本交通公社が運営を再開しました。1955 (昭和30)年からは秋田県観光事業株式会社、1959 (昭和34)年からは秋田県観光開発公社 (現在は秋田県物産振興会に改組)が運営に携わっています。
幾多の歴史の移り変わりの中で、十和田湖のほとりに在り続けた十和田ホテル。増築や修復を経て、2003(平成15)年には本館一棟が「登録有形文化財」となりました。
皇族・要人・著名人に愛され
困難な時代を乗り越えた十和田ホテルは、皇族や政府の要人らの宿としても知られています。1961(昭和36)年10月の第16回国民体育大会の際には昭和天皇・皇后両陛下が宿泊され、近年では秋篠宮殿下も学習院中等科の修学旅行、大学の研究会旅行で宿泊されています。
その他にも、吉田茂元首相やライシャワー元駐日米大使など各界の著名人にも数多く利用され、半世紀に亘り人々に愛されてきました。
この先も様々なお客様をお迎えするのを楽しみに、この地でお待ちしております。
宮大工の技・意匠 Architecture
湖上からの佇まいまで
計算されたこだわりの建築
十和田ホテルは建築当時、秋田・青森・岩手の三県から宮大工八十名を集めて技術を競わせたと伝えられています。
建物は日本三大美林の天然秋田杉の巨木を巧みに配した木造三階建てで、外壁は杉の半丸太を張りつめています。また、各部屋の床の間、天井、格子戸などの意匠も一つ一つ異なり、それぞれが違った趣と表情を見せています。さらに、どの客室からも十和田湖を眺望することができ、あたかもホテルの庭であるかのようなたたずまいとなっています。
設計は日本大学工学部土木建築科教授であった、長倉謙介氏により行われました。長倉氏は十和田ホテル建設のためヨーロッパ視察にも出かけたといわれ、その成果が北欧の山荘を思わせる外観によく現れています。様々な工夫を凝らした「木」の趣は、いまなお学ぶべきものがあり、文化財的価値も高いといえます。
来訪者を圧倒するロビーの意匠
内部空間で最も特徴的ともいえるのが、吹抜をもつ玄関ホールです。同じ直径の杉丸太を2重の竿縁に使った杉皮の天井の意匠は「秋田杉の十和田ホテル」を印象付けています。吹抜まわりの杉丸太柱は、樹齢65年から85年、玄関正面のブナの皮付柱は、樹齢約100年の大樹。玄関の踏込板は欅、土間の石畳は十和田湖畔の石を敷きつめています。
湖畔の窓辺で読書に耽るひととき
十和田湖の眺めがひと際素晴らしいこの空間は、杜の図書館として、ゆったりと湖畔を眺め、窓辺で読書をお楽しみいただけます。
様々なお客様を迎える車寄せ
本館玄関の車寄せは、平使いにした太鼓梁が特徴的です。大樹のぬくもりと、歴史に磨かれた美を感じさせる空間となっています。